Jeremy Miura

凡人

夢中になれない

 

 

高校3年生の夏まで野球漬けの日々でした。

私が受験勉強を始めたのはベンチ入りできないと確信したときから。

 

その頃から自分のアイデンティティをさらに強く求め始めました。というのもクラス(野球部だけ)の就職を選んだ人以外の9割は野球推薦で大学を選ぶ中、自分は大学で野球を続けるつもりはなかったからです。

 

それまで10年、野球以外のことはほとんどしていない状態でした。それが無くなることに対する恐怖心もありました。

 

そして浪人の時期を経て大学に入りビンゴッ!

野球部という肩書の外れた自分の無力さに落ち込みました。

そこからは自分の責任を親になすりつけ、完全に強制されてたわけではないのに「10年間野球以外のことをやっていれば」という考えに飲まれていました。

 

ただ、それを考えるだけで終わると何も生まれないことはわかっていたので、自分がしたことないことに挑戦するようになっていきました。

 

ただ、最初から結果を求めすぎるあまり何も上手くいかないような感覚に陥った私は「始めるのが遅すぎた」と考えるようになりました。

 

 

次第にその考えも変わっていったように思えましたが、自分を根元から帰ることはかなり難しいことです。今でも昔の考えが心の奥底に確かに存在しています。

 

 

 

ここでこの記事の本題ですが、「なにかに熱中することができない」というコンプレックスが存在してます。

 

なにか一つのことにのめり込むと他のことができない人間ということを理解しているからです。

 

これはあらゆる私の行動から見て取れます。

例えば多趣味で移り変わりが激しいところ、恋人を作ろうと思わないこと。

 

1つのこと、一人の人に集中しすぎて他のことが疎かになることを極端に恐れています。

 

もう6年近くしてる筋トレですら

「あ〜、筋トレは好きやけど別になかったら無かったでいいよ」って考えでやっています。恐怖心から。

 

こういったことから自分自身のことを臆病者だと考えてます。

ツイッターにはすでに書きましたが、周りの人は私が就活を辞めて海外に行くという選択をしたことを「勇気」という言葉で表現します。

 

どこまで本気で言っているのかは定かではありませんが、多くの人に言われているので本当にそう感じている人もいるのでしょう。

 

ただ、それは私にとってなんの慰めにもなりません。

色々なことから逃げていることは自分自身が一番よく分かっています。

 

 

ただ、この事実に気づいた、あるいは向き合い始めた瞬間から自分が変わり始めたと思います。

 

まだ勇気を持って"1つ"のことに集中できるような人間ではありませんが、少なくともそれに挑戦しようと考え始めたからです。

 

言い訳ばかり並べる生活にも疲れてきたので今がいいタイミングだと思います。マルチタスクは苦手なので1つずつ、どれも中途半端にして放って置かない人間になりたいなと思っています。

 

「何かを始めるのに遅すぎるということはない」

誰の言葉か知りませんが、完全に同意です。

あとは少しの勇気が必要かな。