完璧主義
自分の感情への鈍感さについて書こうとしてたけど、今日は書けなさそうやったから別の話です。
完璧主義について。
私は元完璧主義者です。何かを始めるときに準備が足りてないと感じ始めるのを先延ばしにしたりしていました。
同時に準備が好きではない人間なので結局条件が整わずやりたいと思っていたことをせずに終わることが多かったです。
完璧主義な部分とそれと相性の悪い部分が組み合わさり、結局自分の中にもやもやを残すことが多かったです。
0か100か状態です。
物事の進行に関してはそんな感じでしたが、やりたいという気持ちだけは残るのでモヤモヤが残る、そんな感じでした。
例えば、英語を話すとき。
今は自分が話してて文法的におかしいとか特に気にはしません。話しながら(あ、これは通じてないかも)と感じることがありますがそのときは別の言葉で補います。
しかし、大学入ってすぐの頃、英語を使う機会が増えてきたときは誰かと話すときに頭の中で文法、単語をしっかり組み立ててからでないと話せない状態でした。間違いたくないという思いから。そのせいで話すことを諦めてしまい、結局0を取ってしまっていました。
0を取ると何も残りません。
1でも2でもいいです。この場合少しでも自分から言葉を発することが大切になってきます。
完璧主義が悪いことだとは思いませんが、それは自分の中の他の感情とマッチしたときにしか大きな結果につながらないですし、私には向いてません。
それに気づき始めてから自分の中の制限が外れたと思います。
自分の知らない世界に飛び込めるようになりました。
自分がやりたいと思ったことに即座に飛び込めるようになりました。
そこでようやく「ミスを恐れるな」という言葉の意味を理解した気がします。
ただ、その言葉を知っていても実行するには勇気が必要になってくると思います。「周りからどう思われるんやろ」って気持ちから恥ずかしさを感じたりするので。
そんなときはその道の人に頼ればいいと思います。
私が大学のときにトレーニング同好会みたいなものを作ったきっかけはそれです。
始めてみたいけど間違った(効率的でない)フォームでやって、周りの人に心の中でバカにされたらどうしようと思っている人たちが筋トレを始めやすいように、不安を少しでも減らせると考えていたので。
ここで1つ残念に思っていることは、
何かを始める人を馬鹿にする人がいる、という風に思わせている人がいるということです。
馬鹿にされるんじゃないかって感情は完全なる被害妄想ではないと思っています。少なくともそういう状況を見てしまっているからこそ、そのように感じるのかと。
どんなことにも共通して言えますが、初心者に優しい世界であってほしいです。
誰も最初から完璧にできないし、何かを続けていても完璧にできるなんて人はほとんどいてないので。
最後に
「本当にやりたいことであれば、全ての条件が整うまで待つ必要が無い」
これが私の考えです。
やりたいと思ったときが始める瞬間です🌱
それができるようになると他人に対する嫉妬や劣等感といった感情にも変化が起こると信じてます。
もし、私がやっていることの中に少しでも(やってみたいな)って感情を持つ人がいれば教えてください。
最後まで面倒は見れないかもしれませんがそれを望むのであれば入り口までは連れていけます。あとは自分の好きなようにどうぞ🎉役に立てることがあれば手伝います!