自己表現
同級生と話してると近況の話とともに過去の思い出話をすることが多いんですけど、その中で毎回コスられるようなネタがあります。
小学校1年生のときに小便器で大をしてしまった友達の話や、小2でお漏らしした友達の話。この頃のこういう話って過去の話のはずやのに未だに話題になってたまに可哀想に感じますが、ほとんど毎回出てきます🌚
そんなことを考えているうちに「自分がその場にいて無い人の話題を話すように自分のことが話題に上がるのか」という疑問が生まれました。
ツイッターには書いたけど、中学卒業までの自分は黒歴史は残しつつも他人が十数年経って話題にするエピソードってものはないような気がします。どっかで陰口は言われてるかもしれませんが。笑
というのも、小中とひたすらに人からどう見られているかばかり考えて、自分の思ったことを表に出すのがかなり苦手だったからです。小学校の時なんて軽いいじめのようなものをされても「やめて」と言うこともできず我慢し、ある時感情が爆発するまで自己表現ができないという状態でした。
感情が爆発したときのエピソードで覚えているのは
2年生の参観日に授業中にクラスの問題児にイスで殴られてさすがにキレた私がその人の首を絞め始めた瞬間に先生に止められたときのことで、首締めるのは危ないし止めに入るのはわかるけど、その前に椅子で殴ろうとしたときに止めてくれよ!って思ったことです。
それくらいで他にはあまりありません。
とにかくいい子でいようという考えが常に頭の中にありました。
高校に入って福井県に行き寮生活を始めた頃、環境が大きく変わり周りの人がいわゆる「スクールカーストのトップ」だらけになりました。そこで変わり始めました。
同じようにいきがっても仕方ないなと思い、どんどん人とは違う方向に進み始めた気がします。野球部だけのクラスでしたが、他のクラスの人たちには「野球部怖い」って恐れられてたし、その一部にはなりたくなかったというのも大きいでしょう。
みんながギャーギャー騒いでいる間、自分は読書をしていたり、みんなが指定校推薦で進路を決めてる中自分は勉強を始めたり。引退してみんなが髪を伸ばし始めて個性を出そうとしてる中、一人「結局横刈り上げてトップ伸ばしてたらみんな一緒の髪型やん」って全部伸ばし始めたり。
とにかく自己表現できるようになった最初の頃は「周りと違うことをしよう」と思ってました。時代がちょっと前後しますが、色々あってバンドやってる友達と出会って野球の練習の後にライブハウスに行ったり、好きでやってたことですが今思えば「周りと違う」という特別感を感じてたのだと思います。
大学2回生くらいまではそういった考えが残っていたかもしれません。自己表現の手段のためにあえて人と違うことをする、みたいな。
ただ、それって本来の自分ではないので演じることに疲れてしまいます。自分で言うのはなんですが、根は真面目だと思っていて、なのにおかしなことをするというのが続いていたので。
そういう自分の立ち位置を考えこんで精神的に落ち込むということもありました。それが大きく変わったのが2018年です。
ハヤとドラに出会って彼女たちの生き方をみて「無理にキャラクター作りをする必要はないんや!」ってなりました。そこからがJeremyのチャプター1です。
自分の中にいてるもう一人の自分にJeremyと名付けその人格を育てていきました。笑
ビリー・ミリガンみたいに本当に多重人格なわけではありませんが、自分の中で確かに「龍馬」と"Jeremy"がいてそれぞれ自分の中で違う役割を果たしています。
Jeremyは自己表現が上手です。
人に伝わるかどうかというよりもやりたいことは素直にできるし、たとえそれによって人からなんと言われても自分が正しいと思ってやりたいことであればします。
その人格が育っていったのが今の僕です。
「変なことをするのが好き」
これって自分にとっては少し気持ち悪い響きですが、自分を表すならこの言葉です。変な人ではないと思ってるし、真面目な部分があるので行動一つ一つの社会的な良し悪しは理解しているつもりです。
ただ、理解しているからやらないのではなく、あとは自分の考えと感情に任せている状態です。
そこが根っからの変な人ではないと自分のことを認識している理由です。
ただ、それも少しずつズレを感じるようにはなっています。
社会の常識と自分の常識の間とのズレがどんどん大きくなっています。昔なら「社会でこれは良くない、けどやろう」だったのが今は「あれ?これってあんまりよくないの?」って感情になっています。
他人に迷惑をかけすぎなければ何でもいいと思っているのでそこまで深く気にしてませんが。昔の自分であれば駅のホームで音楽聴きながら踊りたくなっても踊ることもなかったし、ひげを伸ばしたりピアスをつけたりとかも考えられなかったでしょう。
自己表現ができるようになったと今は言えます。
もう嫌なことをされても黙っているだけの「龍馬くん」ではないのです。
私はJeremy 三浦 龍馬です。