Haya, Alexandra and Joe
私を語る上で欠かせない3人について書きます。
過去に何度も名前を出しているので、覚えている人もいるかもしれませんがこの3人は言わばJeremyの創設者のようなものです。
ジョーは過渡期の私をみてます。
同じくらいの時期に旅館でのバイトを始めました。まだ自分のアイデンティティに迷っていた私と仲良くしてくれていた彼の中に私は少し「龍馬くん」を感じます。
出会った当時の彼は自己表現が苦手で(関係の深さもあるが)いい人が過ぎてすべてを受け入れる菩薩のような人間でした。笑
酒癖はお世辞にもいいとは言えず、悪口を行ったりこそはしませんが飲みすぎる人です。いっときは依存症で飲んでないときは手が震えてるのではないかと疑惑が生まれてました。
イメージしやすくすると、私をもっと大人しく、賢く、現実主義者、酒飲みにした感じです。大好きなんですけど最初の頃は何を考えているかあまりわからず掴みどころのない人だなと感じていました。今は私の家族の一員で、なんせ色々なことに精通していてどんな話題でも話せるので話し出すと止まらなくなります。
愛媛旅行に行ったときも帰りの車の中で6時間ぶっ通しで話し続けたりしてました。内容で多いのは政治、宗教、世界情勢などです。恋愛の話もします。
ハヤの彼氏です。
他のいいとこがなかったとしてもそのハヤの彼氏の時点でいい人です。笑
私も彼の性格をよくわかってるし、彼も私の性格をよくわかっていると思います。それほど色々話しています。
あとはハグが下手です。笑
次にAlexandra。ドラ。
この中では最年少。
彼女の事はあえてここで言わずとも話し続けてるのでわかる人が多そうです。出会った瞬間から彼女に惹かれていました。
彼女が私に与えた大きな影響は、スピリチュアルな部分とnature loverな部分です。
両方とも元々私の中にあったものですが、それを増幅させたのが彼女です。何気ない日常に隠れた幸せを見つける術も、タロットも、オーラも、自然の中から受けるメッセージも、全部私の中にいるAlexandraの部分です。
彼女は私以上にセンシティブで表現豊かで、とにかく感性が豊かです。道端で見つけたキレイな花の香りを楽しんだり、何十年もかけて育った立派な木にハグしたり、川のせせらぎを楽しんだり。とにかく素敵です。
私がhuggerになったのは間違いなく彼女のせいです。笑
どんなに辛いことがあっても彼女のハグはそれを全部かき消すことができると思います。彼女の存在は私に夢を見させてくれます。
電話しててもオンラインハグをくれます。
自分の人生を豊かにしてくれました。
Hayaは天真爛漫って言葉が当てはまる気がします。
彼女の笑顔は太陽のように明るく、周りの人を照らしています。自分のやりたいことはすぐにやるし、ときに暴力的です。笑 感覚で言うとやんちゃな甥っ子。
けど考え方はしっかりしてて現実主義者です。
ほか3人が優柔不断なのでみんなを引っ張ってくれてます。
彼女も感性が豊かであらゆることに精通してます。
真面目な話からふざけた話まで何でも話す。
彼女の生き方も本当に素敵。
私が生き方を変えるくらいに。
それぞれバラバラな性格ですが一緒にいてて心地良いし、それぞれが影響を与えあっている気がします。
読んだ人に聞きたいのは、私自身にこの三人の面影を感じませんか?意図的に取り込んでるわけではないですが、自然と3人の要素が入っていると感じてます。
今年の夏4人でスコットランドで再会できることを祈ってます。
自己表現
同級生と話してると近況の話とともに過去の思い出話をすることが多いんですけど、その中で毎回コスられるようなネタがあります。
小学校1年生のときに小便器で大をしてしまった友達の話や、小2でお漏らしした友達の話。この頃のこういう話って過去の話のはずやのに未だに話題になってたまに可哀想に感じますが、ほとんど毎回出てきます🌚
そんなことを考えているうちに「自分がその場にいて無い人の話題を話すように自分のことが話題に上がるのか」という疑問が生まれました。
ツイッターには書いたけど、中学卒業までの自分は黒歴史は残しつつも他人が十数年経って話題にするエピソードってものはないような気がします。どっかで陰口は言われてるかもしれませんが。笑
というのも、小中とひたすらに人からどう見られているかばかり考えて、自分の思ったことを表に出すのがかなり苦手だったからです。小学校の時なんて軽いいじめのようなものをされても「やめて」と言うこともできず我慢し、ある時感情が爆発するまで自己表現ができないという状態でした。
感情が爆発したときのエピソードで覚えているのは
2年生の参観日に授業中にクラスの問題児にイスで殴られてさすがにキレた私がその人の首を絞め始めた瞬間に先生に止められたときのことで、首締めるのは危ないし止めに入るのはわかるけど、その前に椅子で殴ろうとしたときに止めてくれよ!って思ったことです。
それくらいで他にはあまりありません。
とにかくいい子でいようという考えが常に頭の中にありました。
高校に入って福井県に行き寮生活を始めた頃、環境が大きく変わり周りの人がいわゆる「スクールカーストのトップ」だらけになりました。そこで変わり始めました。
同じようにいきがっても仕方ないなと思い、どんどん人とは違う方向に進み始めた気がします。野球部だけのクラスでしたが、他のクラスの人たちには「野球部怖い」って恐れられてたし、その一部にはなりたくなかったというのも大きいでしょう。
みんながギャーギャー騒いでいる間、自分は読書をしていたり、みんなが指定校推薦で進路を決めてる中自分は勉強を始めたり。引退してみんなが髪を伸ばし始めて個性を出そうとしてる中、一人「結局横刈り上げてトップ伸ばしてたらみんな一緒の髪型やん」って全部伸ばし始めたり。
とにかく自己表現できるようになった最初の頃は「周りと違うことをしよう」と思ってました。時代がちょっと前後しますが、色々あってバンドやってる友達と出会って野球の練習の後にライブハウスに行ったり、好きでやってたことですが今思えば「周りと違う」という特別感を感じてたのだと思います。
大学2回生くらいまではそういった考えが残っていたかもしれません。自己表現の手段のためにあえて人と違うことをする、みたいな。
ただ、それって本来の自分ではないので演じることに疲れてしまいます。自分で言うのはなんですが、根は真面目だと思っていて、なのにおかしなことをするというのが続いていたので。
そういう自分の立ち位置を考えこんで精神的に落ち込むということもありました。それが大きく変わったのが2018年です。
ハヤとドラに出会って彼女たちの生き方をみて「無理にキャラクター作りをする必要はないんや!」ってなりました。そこからがJeremyのチャプター1です。
自分の中にいてるもう一人の自分にJeremyと名付けその人格を育てていきました。笑
ビリー・ミリガンみたいに本当に多重人格なわけではありませんが、自分の中で確かに「龍馬」と"Jeremy"がいてそれぞれ自分の中で違う役割を果たしています。
Jeremyは自己表現が上手です。
人に伝わるかどうかというよりもやりたいことは素直にできるし、たとえそれによって人からなんと言われても自分が正しいと思ってやりたいことであればします。
その人格が育っていったのが今の僕です。
「変なことをするのが好き」
これって自分にとっては少し気持ち悪い響きですが、自分を表すならこの言葉です。変な人ではないと思ってるし、真面目な部分があるので行動一つ一つの社会的な良し悪しは理解しているつもりです。
ただ、理解しているからやらないのではなく、あとは自分の考えと感情に任せている状態です。
そこが根っからの変な人ではないと自分のことを認識している理由です。
ただ、それも少しずつズレを感じるようにはなっています。
社会の常識と自分の常識の間とのズレがどんどん大きくなっています。昔なら「社会でこれは良くない、けどやろう」だったのが今は「あれ?これってあんまりよくないの?」って感情になっています。
他人に迷惑をかけすぎなければ何でもいいと思っているのでそこまで深く気にしてませんが。昔の自分であれば駅のホームで音楽聴きながら踊りたくなっても踊ることもなかったし、ひげを伸ばしたりピアスをつけたりとかも考えられなかったでしょう。
自己表現ができるようになったと今は言えます。
もう嫌なことをされても黙っているだけの「龍馬くん」ではないのです。
私はJeremy 三浦 龍馬です。
後輩気質
三浦家の長男として25年生きてきて、弟たちの見本になるようにとは思ってませんが視野が狭まって窮屈そうにしてるのをみたときは他の選択肢をみせてみたりちょっと先輩らしいことをしてるつもりです。
けど、社会の中では先輩らしく振る舞えません。
別にそれで困ってるわけでもないけど実情を記す程度に書きたいと思います。
小学校から野球をしてて、完全縦社会の中で生きてきました。
1年=奴隷 2年=平民 3年=神様
厳しい野球部とかではこういうことが起こります。
野球詳しくない人でも聞いたことあるようなフレーズじゃないかなと思います。
実際私の高校でもそんな感じでした。
一、二年生の間は上の学年からの理不尽なことに耐える生活でした。例えば、3年生の怖い先輩たち、僕らの間では特に怖い4人をワンピースになぞらえて「四皇」と呼んでました。
私は元々いじられキャラで、リアクションも大きい方だったこともあり入部してすぐに先輩にいじられるようになりました。変なあだ名をつけられたり、通りすがりに肩にパンチされたり、着替えてるときにベルトでしばかれたり、チョークスリーパーで落とされかけたり。
他にいじられたのとはまた別ですが、多いときには一日で自分の洗濯と先輩3人分の洗濯(汚れのひどいものは手洗いから)洗って干してを限られた時間の中でやったり、マッサージの腕に定評があったため洗濯の待ち時間の間30分ほど先輩のマッサージしたりしてました。
人によっては耐えられないかもしれないことですが、一年生の私はそこまで苦に感じていませんでした。
というのも、甲子園に出た世代なだけあって実力はもちろんありましたし、イジってきたりこき使ったりしてきたけどその中に愛もあったからです。野球道具を譲ってくれたりご飯に連れて行ってくれたり、とにかく可愛がってもらってました。
今同じことをやれって言われると無理ですけど、当時の自分にとってはその人たちに可愛がられてる自分の特別感に浸れたので嬉しかったことを覚えてます。ちなみに「四皇」のうちの3人からはめちゃくちゃ可愛がってもらってました。
尖ってる人ばかりだったので同級生とギクシャクすることも多かったので、後輩に目をつけたというのはあると思いますが。
とりあえず一年生はそんな感じでした。
そこで「後輩力」がついて、後の自分の性格に影響してると考えています。「後輩力」はとりあえず気配りだと考えてます。
・言われる前にする
・言われた以上にする
みたいな。いいか悪いかは置いておいて細かいことに気づくようになったのはその時期があったからです。
そして2年生になっても一個上の"ごく一部"の先輩からかわいがってもらってました。なぜ"ごく一部"になったかというと理由は2つあります。
1つ目は「2個上の先輩に可愛がられてるのを気に食わないと考えてる人たちもいた」ことで、2つ目は「かわいがってもらう先輩を選んだ」です。
一年の生活のうちに慣れがあったりいろいろして、広く尽くすのは面倒に感じるようになったのと、一個上の先輩は実力、性格ともに尊敬できる人が少ないと感じてました。
だから同じようないじりをしてきた人相手にもリアクションをあまり取らなかったりすることで心の距離を開けました。
まあそうして少しずつ上の人との付き合い方を学んでいったのですが、その期間が長かったからなのか、元からそういう気質なのか後輩ができたときに可愛がることもこき使うこともありませんでした。
自分の洗濯は自分でしてたし、マッサージしてほしいときは友達と交互にしたりしてました。
別に後輩を敬遠してたわけではありませんが、いかにもな感じで「後輩」として扱うことはありませんでした。
当時の心境としては怪我ばかりで実力も中学生の時より落ちていて、先輩風を吹かすのが恥ずかしいという思いもあったと思います。
まあそんなこんなでガチガチの縦社会が終わり大学に入ったわけですけど、やっぱりその感覚が少し抜けず年上の人や立場が上の人に対しては「敬語じゃなくていいで」って言われても敬語が抜けなかったりしてました。
けれど、私自身は自分より後から自分と同じなにかを始めた人に「敬語じゃなくていいで」って私は言いますけど、実際に全く気にしてないからそう言ってます。
後輩やからどうとかじゃなくて、その人自身をみたときに自分より優れているところを感じるとそこを尊敬とまでは言いませんがすごいと感じます。誰にだって長所や短所はあるので、自分に持ってないものを持ってる人は素敵だなと感じるからです。
もちろん仕事やなんやらで相談されたりすると自分の経験を話すことはあります。けれど、それが自分にとってベストなやり方であってもその人に合うかどうかは本人の判断なのであくまで一例を提示してるくらいの感覚です。
「こうしたほうがいいよ!」とか先輩っぽいことは何も言えないですし、言わないです。別に人の上に立って引っ張っていくような人間ではないと思っているので。得意でもないし好きでもありません。
それよりも対等な立場にいるほうが楽しいし気が楽なのかもしれません。
だから少しまとめると、先輩は立てる(こともある)、後輩は対等に。これが私の生き方ですかね。
いい面も悪い面もあると思いますが。
なので未だに一緒に遊んだりするのは好きな先輩ばかりです。
後輩はいてません。というより「後輩」という存在がいてません。
可愛がってくれてる先輩には感謝感謝でございます。
こんな性格なので自分が子どもを持ったときに家庭内教育がどうなるのか不安なので、子どもを持つことを考えられないというのはあるかもしれませんね。
持ったとしたら友達みたいな関係になるのかな。
初対面から受け入れられる人
一昨日、弟の誕生日で家族全員でお祝いをしました。
様々な事情で家族を好きになれない人もいてるのは知っていますが、私はその点恵まれていると感じています。
血の繋がっていない他人と近い関係性を築くのは時に難しいものですが、それ無しで自分の人生に必要な人たちに出会えたということなので。
まあそうやって家族のことを考えていたときに、自分の血の繋がっていない家族(過去の記事で書いたと思う)についても考えていました。
この前そのうちの一人との会話の中で他に何人いるのか、という話になったので数えたのですが今の時点では7人です。
知り合い→友達→親友→家族
のように親密度があるんですけどそこのトップが血縁の家族と、その他の家族です。
こればかりは自分で仲良くなろうとしてどうこうというよりも、わりと初対面で判断しています。疑り深い性格をしてて基本的に初対面の人に心をオープンにすることはないし、人によっては一生かけてもオープンにならない人もいますが、初対面から気を許せる人以外が家族枠に入ることはまずないと思います。
ただ、それでも見極めは必要なのでこの人は家族!ってなるまでに何度か遊んだりしてその人をみてます。だいたい外れないんですけどね。
その人たちの特徴ですが、
・人の感情に敏感で感受性豊か
・ガンガン全面に出るタイプではないけど自分の芯はある人
・私の人生に影響を与えてる人
・表情豊か
って感じでしょうか。
スピリチュアル的な言い方をすれば紫のオーラを持っている人が多いです。多分そのカラーが私に合いやすい。
16 personalities診断で言うとINFPの人が多いと思います。
全員が全員同じような性格ってわけでもないですけど、多分一緒の場所に全員集まったらみんな仲良くなれると思います。
その人たちがどう特別かというと、彼らの性格と私の性格の一致という点と共に、私がその人たちを助けるためにどれだけ自分を犠牲にできるかというとこがあります。
最近は自分の役割を認識し、自分が正しいと思ったこと(人助け)等をしていますが、自分の人生をかけることはなかなかできません。ただ、家族のためになら違います。
Everything I ownって私のめちゃくちゃ好きなKen Bootheの曲(原曲はB.R.E.A.D)の通り、
I would give anything I own
Give up my life, my heart, my own
まさにこんな状況です。
数が多ければいいというものでも無いのかもしれませんが、25年生きてそのように思える人が7人も現れたことが今の自分の幸福に繋がっていると思っています。
もちろんそれ以外の友達のおかげでもあります。
これから先、そのような人がどれだけ増えるかもわからないし、どこで出会うかもわかりませんが現れた場合は同様に大事にしていきたいと思ってます。
私にとって家族はかけがえのないものです。
どんなときでも最優先になるでしょう。
もう締めようと思ったけどもう一回スピリチュアルな方に戻すと、家族になる人たちは前世でも繋がりが強かったと信じてます。
家族全員にタトゥーをデザインしてもらって全部体に入れたいなぁ〜〜〜。デザイン得意じゃない人もいるからその人たちのは省くかもしれませんが。笑
たまにはどうでもいい話を
普段思想を垂れ流してしまっているので息抜きで好きな芸人の話でも。お笑い好きやから結構色々見てるねんけど「好きな芸人は?」って聞かれたら
・野性爆弾
・天竺鼠
・ダイアン
・金属バット
・サツマカワRPG
・蛙亭
かな〜〜。
その中で私に最も強く影響与えてるのは野性爆弾。
高1くらいのときに激ハマりしてんけど、その直後くらいからレッドカーペットとか地上波のゴールデンタイムに出始めた感じやった。
これは自慢なんやけど、私が好きになった芸人はその時売れてなくてもすぐに売れるのよ🌚まだ売れてない実力派が好きなだけって言われたらそれまでやねんけどwww
めっちゃ王道な感じのお笑いも好きやねんけどアングラ感漂う芸人のほうが惹かれる。
お笑いも音楽も泥臭い感じが好きね。
規格外野菜差別
普段から両親とニュースの話をしたり社会問題についてよく議論してるんですけど、昨日話してたのは主に日本の社会システムについて。
学校教育の話からブラック校則の話になりそこから外見についての話。私の父親は私が小さいときから「チビ、デブ、ハゲなど他人の容姿の悪口を言うな」と私に教育してきました。
残念ながらその言葉を重く受け止められず、人に対してそういった言葉を投げかけてしまっている時期もありました。
しかし、数年前からその言葉の本当の意味がわかるようになり必然的にそういう言葉は出てこなくなりました。完璧ではないかもしれませんが。
昨日話していた内容としては、校則でガチガチに見た目を縛ってるのがおかしいという話。数日前に東京都の公立学校でのブラック校則(髪を全員黒にする、下着の色指定)などが廃止されました。
今のところニュースで見たのは東京の例だけですが、着実な一歩だと思っています。私は天然パーマでも、地毛が明るいわけでもないし、高校のときは野球部でずっと坊主だったので当時はそんなこと全然考えていませんでしたが、卒業以降そういった「生まれつきのもの」を否定するような校則がおかしいと思い始めました。
今は「生まれつき」と関係なく、あとから自分で変えたもの(髪型やファッション)も認められるべきだと思ってます。
学校教育で個性を無くすようなことはあってはならないと思っているからです。私の考えでは日本では「社会の奴隷」が求められてることが未だに多いと感じています。会社に従順な人間。それって機械みたいじゃないですか?
ここで言いたいのはそのように働いてる人たちが悪いのではなく、そう仕向けた社会システムが悪いと思っています。生きるためにやってるのだから仕方ないのよ。
話がずれすぎているので本題に戻すと、「人を見た目で判断するのはよくない」と「規格外野菜の問題」繋がってると思います🍆
スーパーなどの野菜はある程度の規格にあわせて販売されてます。これ自体が規格外野菜差別なんですね。野菜は工業製品ではないし自然の中でできるものなのでその形や見た目に違いがあって当たり前なんですね。
ただ、規格外野菜だからといって必ずしも栄養面や味で劣っているとは限りません。結局そう考えると野菜の外見で選んでしまっています。
その結果「規格」から外れた野菜は畑にすき込まれたり、費用をかけて廃棄されたりしてる現実があります。前者は土地の栄養になるので無駄にしてるとは言い難いのですが、後者は完全に無駄にしているでしょう。
そんなことを考えているうちに1つのアイデアにたどり着きました。すでに存在はしていてその分野で活躍してる人もいてますが、「規格外」野菜を有効活用する仕事です。
これによってフードロス問題の解決に少しでも貢献できるし、
農家さんの金銭的、精神的な負担も減らせるほかに買い取って余ってしまった野菜は炊き出しなどで貧困層にも届けられると思います。
そこから貧困層やホームレスの人たちの中でまた仕事をしてその日暮らしの生活から抜け出したい人たちに雇用を作ることもできると考えています。
ただすごい理想の話ということはわかってるのであとはどのように中身を組み立てていくかだと思います。
もし実現できればすごくないですか?
フードロス、外見差別、貧困、貧困による犯罪などの問題解決に貢献できるので。
残念ながら自分の力だけでは解決には到達しないと思いますが。ただ、少しでも生きづらさを感じてる人たちが楽になればなと思います🌶🥦🍆
野菜によって世界を救おう🌱
タトゥーデザイン(アザミ編)
そろそろ本格的に位置とかデザインを考えないとと思ってHayaに連絡しました🌱
最初は意味を考えたつもりでいてたんやけど、「テーマはなんか決まってる?それかただスコットランドのテーマにする?」
って聞かれたから他のテーマも考えました。前から考えてたけど途中で辞めたから考え直したって方が正しいかな。アザミそのものでスコットランドは表現できるので付け足しといった感じで。
アザミは色んな意味がありますが、例えば「勇敢」「保護」「罪(sin)」「恋煩いの治療()」など。
「罪」は創世記3:18で
"Thorns also and thistles shall it being forth to thee; and thou shalt eat the herb of the field"とアザミについて言及されていてそこからです。
そしてシェイクスピアのMuch Ado about Nothingから
愛はsinには一般的にならないけど、それが過ぎると毒になりsinと化すと思います。そのためのヒーリングですね。
Holy thistle.
私のブログ読んでる人は知ってるかもしれないけど、恋するとダメになるタイプの人間なのでちょうどいいかなって。笑
一回好きになるとダメなんよね。恋愛脳すぎて困る。
まあ結局上に出たアザミの色んな意味が混ざった形のテーマになったってところかな。これを絵で表現ってのはかなり難しいのでこの通りっていうより、私の気持ちを知った上で描いてほしかったってくらいです。じゃないと負担がでかすぎる。笑
まあ何にせよ私の人生を大きく変えたHayaに彼女の母国のスコットランドの国花をデザインしてもらうことに意味があるので、すごく楽しみです🌍
何度も言うようですが、不本意ながら就活してたときに「これは私の生き方じゃない、やりたいことをしよう」ってHayaの生き方を見て感じたしそれがあるから今の自分がある。
そしてReggaeと私を繋げてくれたのも彼女。
感謝してもしきれないです。
Nuff respect!🏴